消えたアンチョコ!?


  これはT-3で訓練を受けていた頃の私自身の体験談です。

T-3は飛行教育課程の中で唯一のプロペラ練習機です。そのため、他のジェット練習機には無い独特の空中操作がいくつか存在しました。

「S.F.O」と呼ばれる模擬フレームアウト進入(空中でエンジンが停止した際の着陸パターン)の場面でも、T-3には独特の手順がありました。

通常、空中でエンジンが停止した場合は、定められた手順に従って再始動を試みます。不幸にも再始動が不可能だった場合は、高度と基地までの距離を考慮して可能と判断すれば滑空(グライダー状態)で着陸を試みるのです。

いつトラブルが発生しても冷静に対処できる様にこの「S.F.O」は飛行訓練課程を通じて何度も繰返し訓練が行われます。

大まかな進入方法は、飛行場の上空50,00ft(約1,500m) くらいから螺旋状に降下し、速度と位置を保持ながら滑空着陸するというものです。

もちろん、本当にエンジンを止めるのはあまりにも危険すぎますので、S.F.O訓練ではスロットルをアイドリング状態まで絞って行われます。

速度や高度の 保持、ギア(主脚)やフラップのタイミング、バンク角の調整など、ヒヨコ学生にとっては結構難易度が高く、操作手順も多い訓練なのですが、T-3の場合はそれに加えてもうひとつ「空中で風防を開ける」という手順がありました。

これは、着陸時に機体が大破して脱出や救出が必要な場合に、キャノピーのフレームが変型して開かなくなるのを防ぐ為の措置です。

飛行中にキャノピーを開けるなどという芸当は、速度が遅くて、しかも後方スライド式のキャノピーを持つT-3以外では実現不可能な技です。

当然、キャノピーを開けた瞬間に物凄い風と冷気が機内に入ってくる訳ですが、そこである事件が発生しました。

前述の通り、何かと手順の多い「S.F.O」訓練。最初の頃は操作手順に自身が無く、こっそりと機内にアンチョコ(カンニングペーパー)を持込んでいました。
フライトスーツの左ひざの部分にちょっとした書類を挟むクリップが付いているのですが、 そこにアンチョコを挟んで手順が怪しくなるとチラチラとそれを見ていたのです。

その日もクリップにアンチョコを挟んでカンニングしながら「S.F.O」を開始 しました。

ハイ・キーを通過し、 風防をオープンしてチラリとアンチョコに目をやった 瞬間、なんと風圧でアンチョコがクリップを外れて後席の教官の方に飛んでいったのです!

アンチョコが見つかったら教官に何を言われるか解ったもんじゃありません。「まずい!」私は青ざめました。

そのアンチョコは風圧でコックピット内を暴れ回り、最後に目の前のキャノピーに張り付いてしまいました...。

「何だ、それは!!どこから飛んだんだ!?」 後席から教官が烈火のごとく怒鳴っています。ああ.......。もうだめだ.........。

私はパニックになり、かろうじて覚えていたはずの手順も真っ白...。あとはもうぐちゃぐちゃでした。教官からはアンチョコの持ち込みで厳しく怒られ、何度も「S.F.O」訓練も何度もやり直し・・・。


結局その日のフラ イトは「イエロー」となりました。「イエロー」とは、5段階評価の「2」に相当します。あんまり続くとクビになってしまうのです。


その日以来、アンチョコは風で飛ばない様に重たいビニールのケースに入れて、さらにセロテープで固定する習慣が身に付いたのでした。

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